みちのく潮風トレイル Day2(種市〜久慈)

NAOMARU

2016年06月16日 06:00








day2

磨りガラスの小さな窓しかない部屋でも、目覚めるとすぐに寝過ごしたと気がつくほど辺りは明るかった。
「急いで準備をしなければ」不思議な事に体の痛みよりも、1秒でも早く身支度を整えて出発しなければならない、そんな気持ちが先走る。
訪れた事のない街を歩く緊張感や、長い時間雨に打たれた事による疲労感を、ホテルの温泉とふかふかな布団が取り去ってくれたからこその反応なのかもしれない。


青森県洋野町のホテルを出発してからは、海沿いや幹線道路歩きが続く。
昨晩スーパーで購入したカツ丼を朝から食べたおかげで、腹は満腹、足の痛みもさほどなく2日目は予想外に好調だった。
実を言うと、恥ずかしながら練習不足な私は2日連続でロードを歩いた経験がない。
つまり、長距離を歩くと足が痛くなるのは当然で、その翌日にどのように対処するのかが課題だった。
1日だけ歩くなら翌日を気にする必要がないため気持ち的には楽だが、翌日を考えると、歩く姿勢、テーピング、就寝前のケア、と、これまた普段無頓着な私も神経質になってしまう。
それぐらい、私の膝のご機嫌を取るのは難しい。


膝の具合を確かめるように、ゆっくりと海沿いに向かって歩き出した。
昨日の雨男はどこかへ行ってしまったようだ。
置き土産の風は若干強いが、天気は良好、雨が降らなければ贅沢は言わないことにする。
余計な文句を行って、雨男が振り返ったら困る。



今日は宿泊したホテルがある洋野町種市から海沿いのロードを約14.3km進んだ後、一旦浜辺に出て有家駅(うげえき)へ向かい再びロードを約7km歩く。
久慈エリアに入ったら、海沿いや舗装路、山越えとバラエティ豊富な道を約5.3km歩くと本日の目的地「北侍浜野営場」に到着するまでの合計約27km。
この2日目は潮風トレイルとの勝負の日と言っても過言ではない。
理由は、トレイルルートと列車の関係にある。
みちのく潮風トレイルは、スタート地点にある蕪島(かぶしま)からJR八戸線の近くを歩くため、体力や精神力の限界を迎えた場合はすぐに列車に乗ることができるが、久慈市に入ったところで八戸線は潮風トレイルから大きくルートを逸れてしまい列車での途中棄権ができなくなる。
私にとって列車に乗ることは、本当に限界を迎えたときだけにしようと決めていたため、まずは2日目まで耐えたことを褒めたい。
そして、体力以上に一人で歩く精神力が問われる日になるだろう。




洋野町の種市駅を南下して、次のポイントとなる玉川駅付近を目指した。
2kmほど歩くと、ルートは遠回りするように海へと向かう。
私の好きな風景の一つ、海へと続く長い下り坂の道が見えてきた。
自分の地元にはない景色というのもあるが、高校生の頃に好きだった人は海が見える坂の上に住んでいたのを思い出してしまう。
夕日に染まる海、花火が打ち上がる海、嵐の海、様々な表情をした海へと続く坂を何度も下った淡い思い出が、こんな遠くの名もない坂でリンクしてしまった。
忘れていた懐かしい人の顔を思い出すのも、こうやって一人でゆっくりと流れる時間の中に身を置くからだろう。
反対に思い出したくない事が頭に浮かぶのも、トレイルの代償として割り切るしかないのかな。






昔の思い出に浸っていると舗装路は突然終わり、本日初めての浜辺に突き当たった。
さほど広くはない浜では、家族とおもしき方々が漁の準備をしていた。
相変わらず波は高く、近づいて海に触れる気すら湧かないが、せっかくだからと三脚を立てて写真を数枚撮影した。





長いトレイルの中で、日に日に記憶は薄れてしまうが、この浜はよく覚えてる。
海でありながら、田園風景が間際に広がるなんとも不思議な景色だったからだ。
目の前には家畜の牛がのんびりと草を食べ、奥に続く田んぼの脇を通り抜ける農道が歩いていることさえも忘れさせてくれた。
ただ、振り返れば荒々しい海がそこにはあり、波の音はまだまだ先は長いことを感じさせる。
先ほどの浜で靴に入った小石をようやく取り出したら、一段ギアを上げるようにキツく靴紐を結び直した。





ルートは国道45号線に乗り、車通りの多い道路を進む。時折1本細い道に入っては、また45号線に戻ったりと忙しないセクションだった。
ただ、1本奥の道に入るだけで、道路沿い喧騒が嘘のように静まり、自らが突くトレッキングポールの音が秒針となる静かな時間がそこにはあった。
看板が錆びてしまった昔ながらの商店。小さな神社。集会所前で会話をする中学生。そして海岸沿いの誰もいない駅。

その海岸沿いの駅である「陸中八木駅(りくちゅうやぎえき)」も、他の駅同様に新しくシンプルな駅だった。
駅舎入り口から覗くホーム、さらにその先の海と赤灯堤防の組み合わせが、美しい絵の様にさえ感じられる。


この旅でたくさんの駅を見てきたが、この陸中八木駅は一番のお気に入り。


宿戸駅と陸中八木駅の間には、八戸線と海が間近で見られるビューポイントがある。



陸中八木駅を通過してからは2つほどの集落の中を進むことになる。
地元の方々はここがトレイルのコースだということは理解しているはずだが、それでも不審者に見られないようになるべく静かに、カカトから爪先へと流れるように地面へ着地する。
集落と浜をキッチリと線引きするかのような水門が見えてきた。
水門を通して川の水が海へと注がれている様子がわかる。
淡水と海水の境目はどこなのだろうか、そんな意味のないことを想像しながら水門脇の階段を登り、向こう側へと降りると、そこには広く、美しい浜が続いていた。
浜に降りると、先ほどの水門から川の水が目の前を通過している、幅は5mほどだろうか。
深くはないが、濡れずに通過することは難しそうであったため、面倒であったが靴を脱ぎ裸足で川のようなものを渡る。
熱を帯びた足裏にキーンっと冷水の突き刺さる感覚と、足裏を刺激する石の絶妙なマッサージがなんとも心地よかった。
クーっ!気持ちいい。そんな言葉を漏らしながら時間をかけて川でも海でもない水場を渡る。
足を拭いて靴を履こうかとも考えたが、遠くを見渡しても浜にガラス片などのゴミは見当たらないため、怪我をする恐れも低そうだ。

よし!このまま歩いていこう!

前日の雨や波しぶきにより、適度に固まった砂浜は、自分の歩いた”軌跡”という名の”足跡”がしっかりと刻み込まれていく。

広い広い浜には、白い犬を散歩させるお婆さんと自分だけであった。
「かわいいですね。」バックパックを背負い裸足の男に臆することなく笑顔で会釈をしてくれたことが、嬉しかった。
お婆さんとすれ違って間もなく、ディーゼルエンジンの音とともに久慈発、八戸行きの普通列車が通過する。
浜沿いに並行するように線路が敷かれており、列車からはこの美しい浜を見下ろすことができる。
昨日自分が乗車した八戸線普通列車が通りすぎていくと、すぐに別な列車が通りしぎていく。
お、うみねこ! 青い車体が眩しい、観光列車の「リゾートうみねこ」は窓が大きく作られているため、天井近くまでがガラス張りになっている。
すれ違ったのは僅か数秒間であったが、こちら側からも多くの方々が立ち上がって窓の外に広がる浜と太平洋の景色を楽しんでいるのが容易に確認できた。

反射的にトレッキングポールを握ったまま列車に向かって右手を振った。
列車の中の人は、自分の姿に気付いてくれたかな。
「あ、浜を歩いている人がいたよ。あ!ほんとだ!どこまで行くんだろうね。」そんな会話が列車内で生まれていたとすれば、自分がトレイルを歩くことが知らない誰かの役に立っているのかもしれない。


左上:水門前には詳細な情報が表示された標識が設置されている。マップや注意事項など、参考になる情報があるため、写真に納めておけば後で見返すことができる。潮風トレイルの標識は手の平サイズの物から、横幅1m以上の大きな物まである。
右上:水門を覗くだけでは砂浜の一部分しか見ることができないが、階段を上りきると想像を超える長い浜が目に飛び込んだ。
左下:これは川なのか海なのか、そんな境目は驚くほど冷たい水だった。靴を濡らしてしまうと、足の皮がふやけて剥がれるなどのリスクがあるので、面倒だったが一度裸足になって渡った。
右下:突然現れた普通列車に急いでサコッシュからカメラを取り出し撮影できた一枚。この後にまさか「リゾートうみねこ」も来るとは思わず、シャッターを切れず悔しい思いをした。






とても長い浜をトラバースし、舗装路との境目に腰を下ろした。
ふう…と息を一つ吐き出す。
先に進めることは嬉しいが、裸足で歩く感覚を味わってしまうと、舗装路は少し憂鬱に感じてしまう。
普段の練習や、登山ではシューズを履いているのが当たり前だったが、この人間の本能を刺激するような裸足の感覚は癖になってしまう。
足裏へ返してくる大地からの反発に喜んでいる自分は一時だけ野生に帰ったようだった。

もっとこの時間を楽しみたたかったが、時間的な余裕もあまりないため、しぶしぶ足裏の砂を払い落とし、野生から現代のテクノロジーが詰まったメイドインUSAのソックスとシューズに履き替えると内陸方面へ向け歩き出した。



45号線に再び合流してから3kmほど南下する。
幹線道路沿いは朝よりも交通量は確実に増え、ドライバーからのサングラス越しの視線が気になる。
中学校前の坂道を下るところでは、自転車で長距離の旅をしているであろう、5月だというのに真っ黒に日焼けした青年と、小声で「こんにちは」と挨拶をしてすれ違う。
”歩く”と”自転車”お互い手段は違うが、「お互い好きですね…」そんな二人にしか聞こえない無言のやり取りが聞こえるようだった。


舗装路は歩きやすいためか、あっという間に分岐点に差し掛かった。
蛇腹折りの公式マップを取り出しルートを再確認する。
蕪島を出発して南下すればするほど、分岐点でのトレイルの標識は少なくなり、地図を読み解く能力も求められる。
地図を読んで、スマートフォンで現在位置を確認、分岐までの距離と時間を予測するというミックス技は通信が安定している市街地だからこそできる。
iPhoneを3回分充電できるバッテリーを持ってきた安心感からか、無駄に何度も分岐までの距離を測定しては「さっきより500m進んでる!!」「まだ100mしか歩いていない」と一喜一憂する。





もう何度目の海だろうか。
このトレイルは海と内陸を反復横跳びの様に繰り返しながら南下していく。
次は陸中中野駅(りくちゅうなかのえき)を経由してゴリラ岩と呼ばれるゴリラの横顔のような岩がある港を目指す。

膝の裏が舗装路に嫌悪感を示しているのがわかる。
足裏を通じて固い舗装路の反発が膝へダメージを与えているからだ。



そろそろ、足が本当にやばいな。
この旅一番の不安であった事が現実となってしまった。
いつもの左膝外側のジン帯が悲鳴を高らかに上げる。
腸脛(ちょうけい)ジン帯炎、いわゆるランナー膝を患っており、その痛みに同調するように、ウッ!!っと声が漏れる。
普段は15kmほどで症状が出るが、今回は二日目でようやく発症したのだから頑張ったほうじゃないだろうか。
後に整体師の方に診ていただいたところ、自分は足への体重の載せ方で右足が左足より2kg重くなっているらしい。
それにより、左足が補正しようと頑張るため負担がかかり膝に悪さをしているとのこと。

陸中中野駅を過ぎ、ゴリラ岩へと向かうたった900mは激痛との戦いだった。
ほんの小さな段差、緩斜面すらも足へは相当なダメージであったため、少しでもクッションになりそうな道路端の落ち葉を見つけては好んでその上を歩いた。
「藁をもすがる思い」ならぬ「松の葉にもすがる思い」だが、本当にそれくらい歩く場所を選んでしまう。


ゴリラ岩はマップに写真の掲載がなかったため、どんな岩なのか未確認であったが、着くとすぐにそれだとわかった。
海面から出た大きな岩は正にゴリラの横顔で、誰しもがすぐにわかるだろう。
ゴリラ岩まで着いたところで、舗装路は終了して、洋野町と久慈市の境目の高家川(こうげがわ)を渡り、小高い山を越えるルートとなる。


左:綺麗に整列した道路端の落ち葉の上をしばらく歩いたが、それくらい膝へのダメージは凄まじかった。
右:ゴリラ岩、名前を知らないで見てもきっと「ゴリラでしょ?」と答えるだろう。それ以外浮かばない。





高家川の流れは非常に急であったが、「橋」とはお世辞にも言えない片側の手摺がない「ただの鉄の板」を渡ると、続けて流れは早くはないが、橋はない3mほどの川が現れた。
この時、自分の足の痛みはピークを迎え、走ることは疎かジャンプすることもできない状態で、左足を引きずるように右足と2本のトレッキングポールだけを支えに歩いていた。
僅か3mほどの川幅を渡るために、飛び石を踏み台にする。
「うわー!!!」足を大きく上げるだけで痛みで声が漏れてしまう。
あと一歩、あと一歩で向こう岸だが、この一歩が本当に遠く、どう頭をフル回転させても足元の石からジャンプをしなければ渡れない。
中洲と言ったら大袈裟だが、今の私にとって川幅3mは1級河川のようにさえ感じる。
意を決して、そんな1級河川の中洲から対岸へとジャンプというか、身を投げた。
足の痛みから上手く着地することできなかったが、倒れこむように向こう側へ激痛と共に無事に着いた。
「さよなら洋野町、ただいま久慈市」そんな感慨にひたるシーンとは無縁で、久慈市に入ったことすら気づかなかった。



渡りきるとすぐに山道が続いていたが、この旅を通してここがピークであったと思う。
よく映画で見かける”深手を負った犯人が足を引きづりながら山へ逃げ込むシーン”がほんとそのまんまだなと、そんな自分の状況に痛い痛いと言いながらも笑ってしまう。

そして、人間は進化する生き物だ。

お、カニ歩きをすると、足の痛みが軽減されることに気づいた。
さらに後ろ歩きをすると、楽に歩けるぞ。
ただ、後ろ歩きは進行方向が見えないためすぐに転ぶので、自分はカニへの進化を選んだ。
男一人で、山道でカニ歩きをしながら登っている風景はなんとも間抜けでおかしい。

持参した地図上では、破線(未舗装)であり、グーグルマップでは道すら表示されない事も不安を煽る。
カニ男も限界、もう無理かもしれない、山中でのビバークを考えたそんな矢先に登りが終わり平坦な道が先に見える。

一旦登り切ると、意外にも平坦なまま道は最後まで続き、急な登りからは想像できないほど穏やかな山というか、丘であった。
ただ平坦といっても山の中の道はいくつかに分かれており、進むべき方向にはマーキングがされてはいるが、道迷いの可能性はあると感じた。

山を抜け、墓地の脇の道路に出たところで、みちのく潮風トレイルの色あせた看板を見て安堵した。
ここが、「桑畑(くわはた)」という名の集落であるとマップに記載されており、あんなに嫌がっていた無機質なアスファルトでさえも、今は人の温もりさえ感じるようだった。
桑畑集落を越えれば、ご褒美のお風呂が待っている!今日の宿泊地「北侍浜野営場」のすぐ先には入浴施設があり、歩いた汗なのか、足の痛みからくる油汗なのかはっきりしない汗を流すべくラストスパートをかける。

これから進むべきルートは海沿いの遊歩道だったが、日が傾き始めていたので、少し遠回りにはなるが舗装路を歩いた方が安全だと判断した。
入浴施設に到着する頃には薄暗くなっており、このまま風呂に入るか、それとも先に幕営してから風呂に入るか選択に迷ったが、まずは汗を流し、熱を帯びた膝を休めたかったので、風呂を選んだ。

今回お世話になったのは「侍の湯きのこ屋」という名のキノコ栽培の会社が経営している宿泊施設で、風呂は人工温泉だが清潔な浴室とスタッフの対応はとても丁寧で印象は良かった。
そして、名前のとおり施設内のレストランではキノコ料理が堪能できる。

フロントで入浴料500円を支払い、痛む足を引きづりながら大浴場へ向かった。
大浴場の大きな窓からは、目の前の太平洋が一望できるようだが、既に日は沈んでいたため、窓ガラスに反射する自分の疲れた顔しか拝めない。


人それぞれ入浴の際のルーティーンがあるだろうが、私の場合は、膝が炎症しているためあまり湯船には浸からない。
体と頭を洗い、全ての湯船を味見するように数分だけ入る。そして、後は最後まで水風呂で膝を冷やし続ける。
こうすることにより、翌日の足の痛みは大きく和らぐので苦手な水風呂も我慢できるが、本来の風呂の楽しみ方を忘れているように思えてならない。


風呂で英気を養い、さっぱりとして脱衣所へ戻り、周囲の客から注目を浴びないようにこそこそと50Lのバックにパッキングをしていると、一人の中年の男性に声をかけられた。
中肉中背の男性が発する声は、平泉成のように渋く、年の離れた威勢の良い部下を宥めるような口調だった。

「お兄さん、さっき浜辺を歩いていたでしょ?」
「あ...はい。もしかして、うみねこ…」
「そう、うみねこから見えたの。どこから歩いてるの?」
「鮫…あ、蕪島があるところです。」

鮫駅と言いかけたところで蕪島と言い直した。
昨日から何度か訪ねられた質問だったが、現地の方にも鮫駅がなかなか通じなく、蕪島と言うとすぐにわかってもらえた。
トレイルで学んだ、この面接の基本のような質問の受け答えは完璧だ。

それよりも、昼間に歩いていた際に見かけた観光列車「リゾートうみねこ」から見た私を覚えていてくれた事が嬉しいじゃないか。
こうしたちょっとした出会いもトレイルの面白いところだと思った。
深く、次に繋がる出会いでなくてもいい、一言、二言の一瞬の出会いだって私の背中を押してくれるだけのエネルギーになっている。





「侍の湯きのこ屋」を後にして、街灯のない暗がりを500mほど歩くと、今晩の野営地「北侍浜野営場」に着いた。
この北侍浜野営場は海に面しており、キャンプ場を下ると広い岩場を散策することができ、夏には岩盤をくり抜いた海水プールで泳ぐこともできる。
正式なオープン7月〜9月のみだが、久慈市のご厚意でみちのく潮風トレイルを歩くハイカーは通年で利用を認められている。
ただ、利用できるという情報は、トレイルの公式サイトには掲載されておらず、フェイスブックの昨年の投稿でようやく確認することができた。
念のため、出発前に久慈市に確認したが、同じく利用可との回答をいただけたので、安心してスケージュールに組み込むことができた。


野営場は波の音が響き渡るアカマツ林に囲まれたテントサイトで、暗いながらも雰囲気の良いキャンプ場という印象を受けた。
中心部にはウッドデッキもあり、その上に設営することもできたが、私は非自立式のシェルターだったので、入り口近くのフリーサイトを利用させていただいた。
ヘッテンの灯りだけを頼りにローカスギアのハピを立ち上げ、いつ寝落ちしてもよいように寝床を準備する。
テントへ潜り込んで夕食の準備もそこそこに、ツマミの貝ひもの袋を開けた。
すると、貝ひもの匂いに誘い出されたのか、一匹の子猫が寄ってきた。
ソロで歩くむさ苦しい男には、たとえ猫でも寄ってくれるのは嬉しかったが、餌をあげるわけにもいかないので今晩はお引き取りいただく。
携帯の電波もない場所のため、フリーズドライの夕飯を食べ、入念にストレッチを終えたらシュラフに潜り込んだ。

家族はどうしているかな。
同じ日に別な場所を歩いている仲間は元気かな。
考えても考えても圏外のため確認する術はないけれど、弱々しい自分が1日歩ききれたから他のみんなは絶対大丈夫だろう。


疲れた体は最高の睡眠薬となり、見知らぬ土地に一人っきりでいる不安さえ感じる前に眠りへ導いてくれた。





翌朝、日の出前の、”夜”と”朝”が渦潮のように交わっている時間に目が覚める。
冷え切ったテント内、時計を確認すると、どうやら日の出直前のようなので、急いでダウンを着込み外へでる。
外では、昨日の子猫が「餌をくれなかった憎むべき人間」を出迎えてくれた。

辺りが明るくなると、周囲の風景が露わになり、水平線の向こう側から、間も無く”今日”がやってくる。
寄り添う子猫が朝日に照らされ、昨晩ははっきりと確認できなかった顔が見える。
「お前、こんな顔してたんだね。けっこうかわいいじゃん。」




朝日が昇りきると、子猫はどこかへ行っていしまったが、一緒に見てくれる相手がいて良かった。
最終日はどうやら良いことが起こりそうだ。
そんな暗示を自分自身にかけて出発....いや、まずは朝飯にしよう。





day3 北侍浜野営場からゴール久慈駅へと続く。










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